スポーツ、体育、そもそも運動って?

わたしの部活動体験~レクスポ

いつも意外に思われるのですが(^^; 中学・高校生時代、私は結構気合い入れて部活動に励んでいました。私はとにかくバレーボール(中学)もバスケットボール(高校)も大好きだったし、仲間や指導者にも恵まれていい体験ができたと思ってます。

大学ではバイトもしていたので日替わりで色んなスポーツを行っている”レクリエーションスポーツクラブ”というのに入って、週1バレー、バスケをしながら、バイトがないときはたまにソフトボールやバトミントンにも参加させてもらいながら、スキーやキャンプなども楽しみました。

その、”レクリエーションスポーツクラブ(通称レクスポ)”では、いろいろと感じることは多く、考えさせられました。

そこには、バレーやバスケをやってみたかったけど、バリバリの部活にはついていけないと思った、身体が丈夫ではないけど運動を楽しみたかった、みたいな仲間もいました。そんな仲間とそれぞれがそれぞれのペースで一緒に練習し、紅白試合などしながら過ごす中で、今までとは全然違う楽しさがありました。

とにかく仲間と成長しあい、喜びあう。チームプレーがうまくいったりしようもんなら大盛り上がり!皆が活躍できることが嬉しい!

スポーツのあり方について問い直された貴重な体験でした。

はれてバレー部の顧問に!

教員になって、部活動の顧問になって、私はとても張り切ってました。
私が中・高の部活で体験したような素晴らしい体験を是非子ども達に味わってもらいたい、と、入部してきたたくさんの子ども達を前に力んでました。

私自身が部活をしていたころは、土日祭日でも自分の都合で休むなんて考えられませんでした。でも、塾にも行きながら部活したい、練習試合の日だけど家族とお出かけがあるので休みたい、などという生徒の気持ちを聞いて、「え~、そんなんじゃ強くなれないよ~」という染みついていた考えと、「そんな参加の仕方もありだよね」、私こそ「中学入ったら部活があるから家族旅行とかいかない」なんてこと言う方が異常で家族に悪いことしてたのかな、なんて思いの間で揺れながら指導をしてました。

山でいっぱい遊んだ~その後

わが子は標高700メートルの山の中で生まれ、小中一貫、山村留学生も含めて25人ほど、という小さな村の小さな学校で育ちました。野山を走り回り、川で遊び、岩場を飛び回り、木に登り、あちこちに基地を作り、と猿のように動き回ってました。小学生から中学生まで何とか人をかき集めてわいわいがやがや草野球や草サッカー!?を楽しんでました。

引越しをして、少年スポーツクラブや中学の部活でサッカーやバスケットボールをやりました。それは、今までとは全く違うものだったと思います。最初は楽しそうにやってたかなと思ってたけど、続きませんでした。

川で魚やザリガニを取ってきたり、木の代わりに屋根や車に登ったりしてましたが💦「ここでは基地が作れない!」と段々外に出ることもなくなっていきました。

しばらくして聞くと、サッカーもバスケも今も好きだと言ってました。「でも、ああゆうのはね、、、」と。

ただのヘタレと言えば、それまでかもしれません。負けず嫌いだと思ってたけど、案外そうでもなかったんだな、とも思いました。身体動かすの、あんなに好きだったのに、残念だな、寂しくないかな、とも思いました。

でも、息子の気持ちもわかるような気がしています。

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”食べる”ということ

『料理人ガストン・アクリオ』×食×トークセッション

台湾への修学旅行が中止(延期?)になった娘と、残念をとりもどす会?ということで、Como es cinemaへ行ってきました。
ガストン・アクリオさんのドキュメンタリー映画、うきはの山奥のスモークレストランの尾花シェフ&無農薬野菜を作られているDONI FARMの児嶋さんのトークセッション、尾花シェフの豪快で繊細なジビエ料理と美味しい野菜のBBQ、というかなりの豪華で、ワクワクのイベントでした。

ガストン・アクリオさんのことを私は知りませんでした。政治家の父親の期待に応えず、料理人になろうとフランスで修業。ペルーに戻ってフレンチレストランを始めたものの、父親との対話などを通して、料理人として自分はどうありたいのかを追求し続けます。地元の文化・食物・生産者を愛し、感謝し、適正な流通を考えていきます。食物を作り、山や海からの恵みを頂き、料理をすることを夢に思う人たちを育て、応援していきます。そうしてペルーの国民的ヒーローになっていく、という彼の物語は壮大でした。

彼のまわりは、穀物や野菜を育てる人たちの笑顔、昔ながらのやり方で漁をする人たちの笑顔、料理をする人たちの笑顔、食べる人たちの笑顔で溢れていました。彼らはみんな誇りをもって仕事をし、楽しんでいるようにみえました。そして、彼らはペルーをそんな国にしてくれた、とガストンに感謝していました。映画のポスターには、「料理は、星の数より笑顔の数だ。」とありました。

そんな映画を観た後の、ジビエ料理や無農薬野菜のお料理を頂くのに、いつもより一息も二息もおいて感謝の想いを抱いたことは言うまでもありません。
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山の暮らし・無農薬野菜作り・・・暮らしを作っていくこと

小学2年生までガスのない生活をし、包丁より先に斧を覚えた、という尾花シェフのお話。丁寧に丁寧に農薬や化学肥料を使わずに野菜を育てている児嶋さんのお話。尾花シェフが児嶋さんの畑で直接野菜に会って、その日のメニューが決まっていくとか、尾花シェフに畑の中で食べられる野菜(葉っぱ)を逆に教えてもらえるとかのお話。きっと日々大変なんだろうけどほっこり温かな気持ちにさせられるやりとりでした。
そして、私は大川村での山暮らしを思い出していました。

ダムの流木や、森林組合の人が切り倒した材木を頂いて運び、子どもと一緒に薪を割り、薪ストーブを焚いていました。休日の朝、薪ストーブの上に置いたダッチオーブンで焼き芋したり、子どもたちが蓋の上でホットケーキを焼いたりして、いい時間が過ごせてました。
大きなかや株を鍬やスコップで掘り起こし、自然農にも挑戦しました。結局間もなく猿や猪やハクビシンやいろんな動物に先に食べられてしまうようになるのですが、トマトやスナップエンドウ、キュウリ、ニンジンなど、子ども達は収穫したその場で喜んで食べていました。長男が冬場に白菜の葉をちぎって食べて、「甘いね~」なんて言ってたのには、私もびっくりしました。大きなボールにいっぱいのサラダを奪い合うようにペロリと食べていました。田んぼは泥遊びしながら耕して⁉くれてました。不登校だった長男と、古家の壁のじゅらくをはがして、漆喰で塗っていったりもしました。

そんな風に暮らしを作っていって、それが食べることに繋がっていってた山暮らしは、毎日身体はへとへとだったけど楽しかったし豊かだったな、と思い返して思います。子ども達も私も元気いっぱいの日々を送ることができていました。喧嘩も絶えなかったけど😅、笑顔もいっぱいでした😄。

おばばの言葉

北海道紋別に、”森(本当は木と水と土)の子どもの村”というところがあります。徳村彰さん(おじじ)と杜紀子さん(おばば)ご夫婦が、横浜で文庫を始めたのが始まりです。そこで物作りやキャンプもやるようになって、そのうち子ども達が何もないところでキャンプをやりたい、自分たちの村が欲しいと言い始めたところで、過疎地の紋別滝上町と縁があり、そこに子どもの村を作り、夏には全国から100人以上が集まってキャンプを行っています。今ではそこで育った若者や、出会ったカップルが結婚して移り住んだりして一緒に生活しています。

オープンハウス”ゆう”を始めて、子ども達に任せてやってたんだけど、日常は、ほんとに只一緒に過ごしてお話して、お茶して、ご飯食べて、でした。とても楽しかったんだけど、ほんとにこれでいいんだろうか、と時に思うこともありました。冬に森の子どもの村を訪ねた時、そうやって30年近くずっと子どもたちと一緒に過ごしているおばばに聞いてみました。
おばばは、「それが大事じゃない。そして一緒に食べるってことが、いいんだよね~、ほ、ほ、ほ」と、凍らないように冷蔵庫に入れてあるビールを出して、注いでくれながら言ったのでした。

”食べる”こと、って、食べるだけじゃない

”食べる”こと、そして”食べる”ことに繋がるすべてのことを大事に、もっと丁寧にしていきたいな、と改めて思いました。
今回、いつもはよく食べる娘の食が、それほどすすみませんでした。美味しくて甘い野菜が嬉しくてお替りするのはわたしばかり😅後で聞いてみたら、「ああゆうのはちょっと」と言うのです。ショックでした。一緒に畑をやってた頃とは味覚も変わっちゃんたんだな、と。生活が、暮らしが、ずいぶん変わってしまったもんね、と。
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P.S. 話があちこちとんでおります。私の中では全部繋がっているのですが、読みづらかったらごめんなさい。

こひつじの園ランチカフェ

2020.2.29㈯ 大名クロスガーデンにて

その日はNPO法人ぷかぷかの高崎明さんとピアニストの方に来て頂いて、映画を見たり、ワークショップをしたり、お茶したりしながら、わいわいがやがやと語り合う、、、予定でした。こひつじの園ランチカフェのスタッフをはじめ、フリースクールの子ども達や様々な立場の方々が参加を予定して下さっていましたが、コロナウィルス感染拡大を懸念しての延期となってしまいました。残念でしたが、すべての方が不安に思わなくていい時期に改めて、のびのびと開催させて頂くことにし、高崎さんには了解を取りつけました😉

万が一来られた方がいらっしゃては、と、今回の主催となる”こひつじの園ランチカフェ”言いだっしぺの平良民枝さん、他スタッフ1名と一緒に大名クロスガーデンにて待機、、、のつもりが、とにかくお喋りして、ぷかぷかさんの映画を見て、お茶して、と、ちゃっかりいい時間を過ごさせて頂きました。

そこに朝日新聞の記者さんが、平良さんに”こひつじの園ランチカフェ”についての取材に来られました。
「ランチカフェを始めて、『目からうろこ』のことがいっぱいだったのよ」、と平良さん。そのお話のほんの一部ですが、紹介させて頂きたいと思います。

ランチカフェのひとこま

牧師夫人である平良民枝さんですが、一見そうは見えない風貌雰囲気😅教会をもっと地域に開かれたものにしたい、と、保育や知育や障害を持っている人たちのグループとのかかわりを大切にされ、教会にはすでに様々な方々の出入りがありました。
そんな中、「子ども食堂」みたいなことしたいなあ、と思われてはじめられたランチカフェには、老若男女、ごちゃごちゃとたくさんの人が集い始めました。(※1)

障がいを持っている人の参加も多いランチカフェ。そこでスタッフをされているお母さまが息子さんを連れて来られた時のこと。
息子さんは進学校に通っていて、障がいを持っている方とのかかわり方もしっかり勉強しているから僕は大丈夫!と参加されたそうです。ランチの時間になって、それぞれが自分の皿を持って座り、「頂きます」を待っていると、同じテーブルの子どもがいきなり食べ始めました。そしてなんとその親まで一緒に美味しそうに食べ始めたではありませんか!それを見て愕然とした彼は、その時「ここは僕の来るところではない。早く帰りたい!」と思ったそうです。その後、大きな声が出たり、物が飛んだりする中で、それぞれが思い思いに過ごす様子を傍から見ていた彼は、帰りの車の中では、母親にこんなことを言ったというのです。
「本当はあの人たちの方が正しかったのかもしれない。あの人たちが食べているとき、ランチからは湯気が出ていてほかほかだった。本当においしそうに食べていた。僕が食べるときは冷え切っていて、あまり味わえなかった。」(※2)「僕はいろいろ気になって落ち着かなかった。彼らはこの時間を楽しんでいた。」
それを聞いて民枝さんは、その子がそのように受け止めることができた感性が素晴らしい!と思ったそうです。そして、頭で《理解》するだけでなく、こうやって《感じる》機会がもっと大切なのよね、と思ったと。
更にそのお母様自身も、「私は息子の学校のPTA役員として学校にいるときは、皆がきちんとしていないと気が済まなかったの。でも、ここに来ると、ほんわかと、いろんなことを許せる自分がいたのに気付いたのよね。『私って優しいところがあるのね』と思えたの。」と言われたそうです。この空間がこのお母さんの優しさを引き出したと思うと素晴らしいよね、やっぱり”ごちゃまぜ”って大事よね、と民枝さんはインタビューで答えられてました。
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ごちゃまぜが普通になると豊かになる!?

私も今特別支援学校にいて、「大変ですね」とか言われるんだけど、何が大変かというと、彼らを《ねばならぬ》に当てはめようとすると、それが大変なのであって、本人たちにもかなりのストレスで大変だと思うのです。その辺をとっぱらって、彼らの素直な感性や、ありのままの行動をもっと尊重して、そこからスタートして一緒に生きることを考えた方が、私たちは豊かになれるのではないかと、こひつじの園ランチカフェで過ごしてて益々思うようになりました。まわりの空気を読んで、忖度しながら生きている私たちの方が、もっと不自由で息苦しい世界にいる気がするのです。ごちゃまぜの中でこそ風通しがよくなって、ぶつかったりもしながらも本音で付き合える関係を築いていくことができる、心から笑顔で居られる安心感が得られるのではないかと思うのでした。

(※1)ランチカフェは、平尾の教会で行われています。
(※2)その後、一斉に「いただきます」は、なくなりました😅

A.S.ニイルが私に語りかけてくれた⁉[f:id:zosanzosan:20200225021053j:plain]

夢いっぱいで教師になって

小・中・高と、私自身は学生生活を結構楽しんでいました。それほど縛られることもなく、自分の好きなことをし、中高も自分が好きでスポーツの部活に入ってました。肝心の大学で学びたいことが学べなくてがっかりしたものの、授業以外の活動やバイトなどから社会のことを学んだ・・・つもりでした。

でも、後から思うと学校生活外のこと、ほとんど知らないまま教師になってしまってたんですよね。(学校しか知らなかったから教師になろうと思った、のかも・・・)

はじめて担任したクラス40人のうち、1/4が母子家庭、父子家庭でした。そこから始まって、万引き、恐喝、家出、暴走族・・・それまで私が知らない世界でした。でも子どもたちはかわいくて、私は張り切っていました。体育祭で応援団やりたいというヤンキーな子たちに、生徒総会で提案するよう取り組み、彼らは団長になって頑張ってくれたりしました。楽しかったけど、1年目から3年間のうちに、次々とたくさんの疑問符が出てきました。指導が必要だと思われる子についても、ありきたりの、実はなんもわかってない私の感覚では、いくら一生懸命話をしても通じないな、と思うことも度々でした。

そんな中、ニイルの学校など海外には全く違うタイプの教育があることを知り(実は国内にもあったのでしょうが)、世間知らずだったことを自覚してしまった私は、そんな学校を実際見に行きたくなりました。

どんな指導法がいいのか、探し続けて

フリースクール、オータニティブスクール、パブリックスクール、シュタイナースクール、とにかく行けるところに見学に行き、時にはしばらく滞在させて頂きました。床の上にシュラフで寝たり、時にはハンモックで寝たりしながら。それぞれにユニークで、自分たちに合った方法を子どもとまわりの大人が一緒に模索していました。

学校がどこもお休みの夏休みには、直前に滞在していたフリースクールで勧められて、シュタイナー学校の教員養成サマーセミナーに参加させてもらうことに。その時はまだシュタイナー教育が何かもよく知らなかったけど、ウェットペインティングとかオイリュトミーとか、ペンタトニックミュージックとか何やら目新しい学びがいっぱいで、ワクワクしながら受講しました。

でもたかだか一か月足らずの講習で、シュタイナー教育で教えられるほどのものが身につくわけもありません。改めて「私には取り柄がないなあ」と自覚するに至り、自分に何ができるか探し続けていました。自分探しの旅だったんだと思います。

ニイルのお墓参りに行って

アメリカからまわりはじめ、イギリスに渡り、旅の終盤でいよいよニイルのサマーヒルを訪問しました。その時は一週間、乗れなくなったバンを改造したみたいなゲストルーム⁉に寝泊まりしました。その頃、日本人の生徒さんは多かったです。ゆったりとした空間で皆思い思いに過ごしていました。ミーティングでは、本当に6歳くらいの子が年長の子や大人の中で堂々と発言していて、大人や年長者が意見を言っても全然威圧的ではなくて、面白かったです。子どもたちはちゃんと尊重されれば、すごい力を発揮できるものなんだな、その力は生まれてくるんだな、ってことを、「見せられた~!」って感じ。

そこで、では私には何ができるんだろう?私はどうすればいいんだろう?
そう思いながら、ふらふらとニイルのお墓まで歩いていきました。
そこで!なんと!!声が聞こえてきたのです!!!
「子どもたちに任せればいいんだよ」と。

”ハッ”としました。ニイルが教えてくれたの?
でも、それなら私にもできる。
もしかしたら、何にもできない私だからこそできる!
そして、たくさんの学校で、子どもの力を見せてもらった私だからできるかも!!
そう思えたのです。

オープンハウス”ゆう”をはじめて

帰ってきて山の麓に一軒家を借りて、とりあえず開放し始めました。
ぽつりぽつりと訪ねてくる子ども、親子があり、話をしたり、遊んだり、お散歩したりとしているうちに、だんだん人が増えてきて、子ども同士、子どもと大人、大人同士親同士などそれぞれで過ごし始めました。昼夜逆転で夕方からきて夜な夜な過ごす人とか、家出してくる人もいたりして(とんでもないですね💦今だから言えることかな)、年中無休24時間営業みたいになっていきました。それぞれ勝手に過ごしてくれるようになってからは、私は日中仕事して、休みの日と夕方から夜な夜な皆さんとお付き合いしていました。一緒にご飯食べて話しして、たまにどこかへ遊びに行って、くらいです。あ、勉強したいという人とは個人的に時間を作ってました。NHK学園のプリントを何人かでやっているとことも見たことはあります。そんな中で、皆元気でした。人によってはうるさいくらい💦そのうち、ちょっと面白い⁉大人たちも集ってきたりもしました。
こんなところは合わない、と見学に来て来なくなった人もいます。
そうこうしながら、それぞれに皆、自分の道を見つけて歩んでいってました。
ほんとにここで私はなんも指導みたいなことはしてませんでした。
とにかく一緒に過ごすのが楽しくて、一番楽しんでいたのではないかと。
ご飯はよく作ってたかな。

”指導”とか”支援”とか

”指導”とか”支援”とかいうのがなんだか私はわからなくなってきています。
今は特別”支援”学校にいるんだけど、ここにいる子どもたちへの”支援”っていったい何なんだろう、どうしたら適切な支援となるんだろう、と自問自答する毎日です。

普通の公立学校の子ども達も、特別支援学校の子ども達も、それぞれに素晴らしい力を持っていて、それが尊重されて発揮される場・機会を提供できたらいいんだろうな~、とは思うんだけど、、、

障がいを持っている人たちを”ぷかぷかさん”と呼び、養護学校の教員時代から、今はNPO法人ぷかぷかの代表として、ありのままの彼ら彼女らと一緒に楽しく過ごされている高崎さん。日々の活動、地域の皆さんとのパン教室・「表現の市場」などの多彩な活動についてのお話を是非伺いたかった、ところなのですが

延期になってしまいました。次の機会を心待ちにします。
今は、コロナウィルス感染症の被害が拡がらずに終息に向かうことを祈るばかりです。

【2/29㈯、大名クロスガーデンでの高崎明さんとの時間について】

検討しました結果、

障がいのある人も、持病等お持ちな方も、高齢な方も、仕事柄配慮が必要な方も、皆が安心してごちゃまぜに集える時期に、改めて高崎さん(できれば来て下さる筈だったピアニストの方にも🎵)に来て頂だきましょう🍀
そしてのびのびとワークショップも楽しみましょう!

ということになりました。

今週末開催できなくなったのは大変残念ですが、これも又色々と考える学びの機会になったととらえて、、、

参加を検討して下さっていた方々、予定に入れていて下さっていた方々、今回は大変申し訳ありません。
又是非ご案内させて頂きますので、どうぞ宜しくお願いします🙇‍♀️⤵️
 
下記、ぷかぷかの高崎さんよりの投稿です。

www.pukapuka.or.jp


www.pukapuka.or.jp

リヒテルズ直子さんのお話を聞いて、、又、繋がった!

今話題の”イエナプラン”

教員を早期退職してオランダにも3か月研修に行き、長野で新しい学校の準備をしている友だちに、「絶対(聞きに)行った方がいい!」「イケイケ」とのアドバイスもあり、リヒテルズ直子さんのお話を聞きに行きました。

行ってよかった! おかげで、また少し(!?)頭の中がクリアになりました。

人が人としてその人らしく、全人格的に学び、育つ、ということを考えた時、その手法にはいろいろあるけれど、その根底にあるものは一緒だなあ、と一つ一つ納得。次々と湧きてくるような話しぶりにはとっても説得力があって多くを学ばせて頂きました。が、「イエナプランはメソッドではありません。」「リヒテルズ直子はこういうけどそれでいいのか?」くらいの気持ちで取り組んでほしいと仰ってました。
詳しくはこちらにわかりやすく紹介されています。私もまだ斜め読みですが、、、。f:id:zosanzosan:20200216210848j:plain

イエナプランでの特別支援とは?

「イエナプランでは、特別支援教育はどのようにおこなわれているのでしょうか?」という質問がありました。リヒテルズ直子さんはきっぱり、「特別支援、というのは、皆が一緒に学べるように必要な支援をすることが、特別支援です。」と仰いました。
そうそう、そうなんだよね。支援が必要な人だけを取り出して、皆に合わせるように、近づくように訓練することが特別支援教育ではないんだよね、と、しっくりすっきり。
当たり前にいろんな人がいる中で学ぶ、そこで皆同じ価値のある存在として認め合い、多様性を学ぶ。それがイエナプランでいう、「インクルーシブ」で、それを何よりもまず第一の項目としてあげてあるのです。

”こひつじの園ランチカフェ”でのひとこま

毎月第三土曜日に、平尾バプテスト教会で老若男女、障がいのある人も、病のある人も一緒にごちゃまぜのランチカフェが行われています。そこでスタッフをされている方が、2/29のぷかぷかの高崎明さんをお招きするイベントについて、こんな案内をされていました。

     ・ ・ ・ 

29日、私もお手伝いさせていただきます。
是非遊びに来てください。
障がいがある方と過ごすとどんな事があるんだろう?
私も興味深々です。

障がいがある人もない人も
学力がある人もない人でも
お風呂に毎日入る人も3日に1回の人も
友達が多い人もいない人も

とにかくとにかく

産まれてきてくれた、存在してくれてる、
居てくれてる、それだけで計り知れない価値がある。

こんな経験をしたことがあります。
ある催し事のお手伝いをみんなでしている時に、
みんなが一生懸命やっている中、
その中に病気がちな方がお一人来られていて、
ベッドに横になったまま、
私たちの働きを見てくださっていて、
目があったったら、
「ありがとう。」
と言って、思いっきり励まし、褒めてくださいます。
調子が良い時にもの〜んびり歩かれるお姿が
とても平和的で🕊
その方がいてくれるだけで

がんばりすぎなくてもいいんだ〜って

気づかせてもらいました。

というか、楽しいエネルギーがもっと湧いてきた感じ。

一生懸命やらないと
誰か嫌な気持ちになるとか
居場所がなくなるとか
無意識に色んなことを抱えていた自分に気付かされ、
その方にはとても感謝しています。

人は存在してくれてるだけで
人を救うことができる。

目に見えない事こそ大切ですね。

     ・ ・ ・ 

ランチカフェの行われているスペースには、椅子やソファだけでなく、ベッドも置いてあります。しんどくなったら横になって休めるのです。横になって、皆と一緒の時間を過ごすことができるのです。そして、横になりながら、病気がちな彼女はいつも厨房やホールの様子を見守ってくれています。「みんな忙しくてお互いのこと見ている暇はないでしょうけど、私にはみんなが見える。そしてうまくことが運んでる様子を見てほっとする。そんな私のことを、こんな風に感じてくれている人がいたなんて、うれしいわあ。」と彼女。

なんとも素敵なやりとりですよね。彼女の存在そのものが、忙しく動きまわっている私たちに教えてくれることがある。支援するとかされるとか、もうそういうことではないんだよね、と。


こんな素敵な方々と一緒に、今回、ぷかぷかの高崎明さんをお招きします。障害を持っている人たちを、『ぷかぷかさん』とよび、日々一緒に活動されている高崎さんから、ありのままの彼らと一緒に過ごすことの豊かさについて、是非是非皆さんも一緒に聞いてみませんか?ぷかぷかさんの映画あり、ワークショップもあります。ワークショップには、ピアニストの方もご一緒して下さることになりました!楽しみです!!

2/29㈯、”高崎明さん in 大名クロスガーデン” 主催:こひつじの園ランチカフェ
    美味しいお茶とお菓子もありますよ☕🍪

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『ぷかぷかな物語』があちらこちらにあれば・・・

『ぷかぷかな物語』

普通?に民間の会社にいた高崎明さんが、林竹二さんの著書に出会い、養護学校でで働くようになりました。その時から『ぷかぷかな物語』の序章が始まっています。

専門知識のないまま、ただおろおろとしながら裸の自分で相手と向き合ったからこそ、障がいのある子どもたちと人として出会えた気がする。《教員としての正しい「指導」》をすることから外れ、彼らと一緒に「ワハハ」「ガハハ」と笑い、一緒に人生を楽しむ方を自然に選んでいった。と、高崎さん。

理屈ではなく、「カンカンカンカン、あたりぃ!」って反応する感覚でやっていく中で、自分自身が縛られていた規範が少しずつ取れていき、自分自身が自由になれた。とも。

そうやって生まれた『ぷかぷかな物語』からは、障がい者への福祉を考える、みたいなぷんぷんとした匂いが全くありません。彼らと一緒に笑って過ごすことをしない社会の方が、損してる!という感覚です。

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”笑顔”が生み出すもの

「笑って、楽しんで過ごしているだけで大丈夫なの?」という声が聞こえてきそうです。私は、

『笑って過ごす』

ことこそ大切だと思ってきました。


オープンハウス”ゆう”をやっていたころのことを思い出しても、いろいろ大変なことはあった筈なのですが、思い出されるのはみんなの笑顔ばかり。そして何より私が一番大声で笑っていた気がします。今振り返って思うと、私が一番楽しかったんでしょうね。


笑って雑談して、お茶して、ご飯食べて、ゲームして、たまにお出かけして、、、そんなことの繰り返しでしたが、そんな中で彼らはそれぞれ自分の道を切り開いていきました。

笑って楽しく過ごしていると、なんだか又次のパワーが出てくるんですよね!


もう、30年近く前のことなので、不登校に対する世間の偏見も厳しく、教育委員会のやってる不登校適応教室にも子どもたちはまばらで機能してなく、よく、「何でここにはたくさん集まってきてみんな楽しそうなの?」と聞かれたものでした。わからないので、子どもたちに答えてもらってました。私は只、彼らの笑顔が見れるのが嬉しかっただけです。


よく、自信を失っている人に自己肯定感を、障がいを持っている人に自己有用感を、達成感を、とかいって、何か身につけさせようと、プログラムを考えたりします。

自分を認めるためには、何か出来ないといけないのでしょうか?それができないと認めてもらえないのかな?

今の自分のままではやっぱりだめってことにもなっちゃいませんか?


「何かができないといけない」(=生産性が大事)という観念に私たちはとらわれすぎているのではないかと思います。


「今」を大切にして一緒に楽しみ、笑ったり泣いたり怒ったり、普通にお付き合いをし、今できることをしていく中で、次のエネルギーは自然に生まれていくものではないかと、振り返ってみて思うのです。そしてそれは、不登校の人、とか、引きこもりの人、とか、病気を持っている人、とか、障がいを持っている人、とかにかかわらず、すべての人に同じだと思います。

『ぷかぷかな物語』が生み出すもの

障がいを持っている人と一緒に生きていった方が言った方がおトク!!

彼らと一緒にいることで、そして彼らと一緒に普通に過ごす社会を作っていくことで、実は私たちのギスギスとした社会が耕されていき、みんなが幸せになっていくよ、というこの物語。


みんなで笑って楽しく、そのままでいいんだよ!って社会を作っていくヒ・ミ・ツが、『ぷかぷかな物語』にはたくさん散りばめられています!!


今、特別支援学校で、かれらかのじょらの無条件の笑顔にほっこり癒されている私から、大絶賛お薦めの一冊です!


そして、2/29㈯、大名クロスガーデンにての高崎さんとの時間。

カナダでの世界自閉症フェスティバルで披露された”Secret of Pukapuka"の上映、ワークショップ、こひつじ園ランチカフェの皆さまによるティータイムなど盛りだくさんのプログラムを通して、そのヒ・ミ・ツを一緒に探りましょう!!

一人でも多くの方とこの時間を分け合えればいいな、と思ってます。

お待ちしております!!

 

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ぞうさん日記、はじめてみます。

ぞうさん通信』

以前、長いこと、『ぞうさん通信』というのを発行していました。

私が訪ねたイギリスのスモールスクール校長夫妻が来福することになり、たくさんの人に出会ってほしいと、チラシ+αみたいなものを作ったのが始まりでした。その後はその記録報告、続いてスモールスクール劇団来日来福(2回)、校長夫妻再来福、アメリカからグラスルーツフリースクール校長来福、デンマークフォルケホイスコーレ(民衆大学)の先生方の来福・・・等々。出会いはどんどんふくらみ、私の興味の幅も少しずつ広がり、毎回14~18ページ程、私の殴り書き!や興味のある記事などを貼り付けて、気がついたら年に2~3回、500部以上作ってばらまいていたのです。

当時はSNSなんて知りませんし、パソコンも使ってなくて、ガリ版印刷しては製本折込発送作業をひとり繰り返し、(不要な人はご連絡ください、と添えつつ)勝手に発送してたのでした。

振り返ると、我ながらすごいパワーでよくやっていたと思います。とにかく、この出会い、学びを少しでも多くの人達と共有したい、という想いに突き動かされていたのでしょう。

私の仕事のこれまで

公立の中学校で教員を3年間。そこでいろいろな疑問にぶつかり、米英フリースクールを訪問の旅へ。戻ってから自宅を開放し、オープンハウス”ゆう”を始めました。私の中ではこれが一番大きな私の仕事かな、と思います。”ゆう”での出会いや繋がりの多くは今も続いています。ただ、これはこれで食べていける仕事ではありませんでしたので、こちらをやりながら様々な仕事を経験させて頂きました。日立社員寮の早朝賄い、英会話教室講師、に始まり、大工見習、教護院の保母、心の相談電話相談員、心の病のある方々の作業所支援員、、、結婚(事実婚)して高知の山で暮らすようになってからは、間伐材を利用しての製材から木工品製作、水力発電所周りの草刈り、地域の保育園保母、水耕栽培の袋詰め、地域の公園や宿泊施設の管理・喫茶のお手伝い、お年寄りの介護施設支援員、それらをしながらぼちぼちと自然農、古家をコツコツ直して住み始め、、、そしてまた福岡に戻り、障がい者施設支援員から、現在は特別支援学校講師をさせて頂いています。


こちらも何でも色々よくやったものだと思います・・・どれも中途半端ですけど💧


これらのひとつひとつのお仕事、そして家族を持っての生活(これも大切なお仕事)の中で、それぞれに考えさせられる不具合がありました。その場その場でどうしたらいいんだろうといつも考えていました。

ぷかぷかの高崎明さんとの出会い

不具合はそれぞれなんだけど、全部なんか繋がっているよね、、、根っこは一緒だよね、、、とは思うようになりました。でも、なんだかもやもやすっきりしていませんでした。


昨年、高崎さんのワークショップに参加して、お話をお聴きする機会があり、「そうそう!」「なるほど!」と、なにかすとんと心に落ちるものがありました。すべてに繋がってしっくりきました。

 

支援》ではないんです!迷惑かけあって支えあえばいいんです!それができる社会は、ゆったりしていて、笑顔があふれてるんです!それは誰にも必要なことなんです!

 

そんなメッセージを私は受け取りました。

高崎さん、2/29㈯、福岡に来られます!

今回高崎さんをお招きするにあたって、その想いをブログに書いてみたら、と勧められ、シェアしたいと思うことの紹介や、私自身のもやもやを少しずつ整理するためにも、『ぞうさん日記』はじめてみることにしました。


中途半端に色々かじってきた私だから感じることもあるのかな、と、ぼちぼちと🌱

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